普段は質素な経済生活、必要のないことに一切お金を使わない。
その代わり明確な目的があり、『ここで使うべきだ!』と判断すれば惜しみなく使う。
そのような明確な考え方を持って意識的に実践されていらっしゃる方に共通するのは、生き金は惜しみなく使い、死に金は一切使わないことのようです。
当然といえば当然ですが、その線引きが漠然としていたため、向き合ってみることにします。
はい、何気に興味を持ったので、根を詰めて考えてみました。
生き金の定義には共通点があり、『成長するための投資』となっているかどうか、たとえば本を買って知識を肥やすなど、将来に向けての目的が明確です。
そんな生き金について今一度考えてみます。
この記事の内容
これまでの使い方の欠点を考察:ただ『欲しい』だけで物欲のままお金を使うのは死に金

たとえば何かに頑張った後の自分へのご褒美で、欲しかったブランドのバッグを買う。
よくある話です。
私も然り、私の周りでもチラホラ耳にします。
しかしこれこそが、私欲がもたらす一時的な浪費であり、将来に渡りそれが広がることなど皆無でしょう。
『生き金』と『死に金』を区別する定義

何が生き金で、何が死に金なのかは人それぞれの価値観によって様々です。
では、自分にとって今欲しいものが生き金なのか死に金なのかを分別するために、以下のことを自問自答してみまきょう。
- なぜ、何のためにそれが欲しいのか。
- それを手にすると、どのような効果がもたらされるのか。

たとえば、前述のとおりに自分へのご褒美として私欲を満たすものは、このお金の使い方は将来ではなく、過去に向けたものに過ぎず、満足感を一時的に満たすだけで留まります。
ご褒美に代わる何かの作業だったり、特別に制限をかけたガマン報酬など、全て過去の事柄が起因となっています。
それは死に金と同じではないでしょうか。
過去ではなく未来に対しての考えがあるなら、それは生き金として分類されるでしょう。
生き金として明確に目的意識を持つ。
たとえば以下に挙げるような目的意識が特徴です。

- 接待での食事の際に惜しみなくお金を使うのは、その後、その方との交流がビジネスに結びつき利益をもたらす。
- 音楽鑑賞コンサートに行くのは、その後、その際に関連を持つ方との交流で将来的に利益をあげることを計画している。
- 資格取得のために参考書やセミナーに出席するなどのお金を惜しみなく使う。
など、どれも将来に向けての目的意識が明確に存在しています。
コンサートへ行くのも、単に娯楽のためではなく、必ず将来に向けての投資となっています。
消費税10パーセントは異常事態であり、お金の使い方も異常なほどの意識改革が必要。
20年ほど昔、日本国内のサラリーマン平均年収は500万〜600万円だったそうです。

今では正社員雇用が激減となり、平均年収は200万〜300万円ほど、しかもほとんどの人が貯金ゼロという実態があり、日本国民はどんどん貧乏になっています。
食生活の場合、私は一日一食の質素な和食に徹しています。
このご時世だからこそ、一日一食が実は一番健康的であり、医者に頼らず自然治癒力を大幅に発揮することも体験しました。
こんな異常な時代だからこそ、異常なほどの意識改革が必要に思います。
本当に、日本はヤバイところまで来てしまいました……。